沖縄からの風

沖縄に着くとそこはアジアの風が吹いていました。白い瓦屋根、赤土、石垣、湿ったような濃い緑の林、、、、。見るもの、触れるもの、感じるものすべてがなぜか懐かしく思われたのは東北出身の私に不思議でした。


私の自転車の旅も終盤を迎えています。6月30日に京都を出発した日本全国の旅は京都で行っていた’路上ゴズペル’を旅先でやろうという主旨でした。そして今、沖縄本島を巡る旅をしています。力なく、影響も大きいとはいえませんが、ギターの弾き語りとメッセージを用いて背後でイエス様が働いておられると信じればこそです。荊冠(※)の王、キリスト、主イエスは生きておられる!


辺野古の海が破壊されようとしています。法的な手続きを無視して、力ずくで暴挙を行使しています。平和を望む人々の声は周縁に押しやられ、踏みつけにされています。日本人の多くは見て見ぬふり、忌避して向き合おうとしていません。あたかも生と死の境界であるような地平線の向こうに不都合なものを押しやっているようです。そしてただ自分の死を待っている…。それが自己が周縁化された存在であることを証しています。でも私は言いたい。そこにこそ、希望があり、救いが隠されています!

生であり死でもあるもの、聖なるものでありながら忌まわしいもの、

了解を得ないので人は意識化に押しやっていますが、そこに救いがあることはキリスト教のメッセージです。救い主としてお生まれになったキリストがあの忌まわしい十字架にお架かりになったのは、そのことを表しています。ピースパレードの旅とはそういう旅です。


※荊冠:いばらの冠のこと。キリスト教の救い主が苦しみを受けたことを象徴しています。