今朝与えられたみことば

新約聖書ローマの信徒への手紙11章25節以下

 11:25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、 11:26 こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。 11:27 これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、/彼らと結ぶわたしの契約である。」
 11:28 福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。 11:29 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。 11:30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。 11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。 11:32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。
 11:33 ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。

11:34 「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。
 11:35 だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」
 11:36 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

 

誰が当然の報酬として主の救いと要求できるだろうか。

確かに救いはシオンからやって来るだろう。しかし、エルサレムをテリトリーのように主張するなら、救いの本質を外している。「主は購う者としてシオンに来られる」けれども、「ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来」られるのだから(イザヤ書59章20節)。そして「神の豊かさと知恵と知識とは深い」のです。
そもそもキリスト者は地上のエルサレムは相対化し、天のエルサレムを恋い慕う者と変えられている(たとえばガラテヤの信徒への手紙4章21節以下)。主が与えられるエルサレムがあり、それは逆説性に富んでいる。